あなたの前で語ったことも、あなたのいないところで、あなたを語ったことも、その場の状況に応じて演じた自我のメッセージかもしれない。そんなうわべのメッセージに振り回されず、役割や立場、その場の状況によってころころ変わる価値観に振り回されないようにしよう。
自我はまわりの評価が作り上げた山を登らせようとする。内なる自己は、登らなくてもいい山よりも、本当の自分に流れる川をあるがまま、ありのまま下る。役割や立場が登らなくてもいい山を登らなければならない山であるかのように認識させる。自我は後悔・罪悪感を正当化するために、役割や立場を利用する。見せかけの勝利に惑わされて真の勝利を忘れないようにしよう。
役割と立場は、なんのためにあるの?
でも、役割や立場を放棄したら、それは責任逃れではないのですか?それぞれの役割があるから、社会は成り立っているのだと思います。
時には、自分の使命や志を全うするために、役割や立場は重要なヒントとなる。しかし、立場や役割だけを演じ続ければ、役割がなくなれば、生きがいを見失ったり、状況によってあいまいな行動をとってしまうことになる。
血の繋がりが、お互いを讃え愛、一緒に成長していくツールになることもあれば、血の繋がりがあるからこそ、見にくい争いになってしまう場合もあるのは分かるでしょう。
立場や役割は、目的ではなく、手段ということでしょうか?
そうだ。
「責任ある立場だから責任ある行動をとる。責任のない立場だから、私には関係がない」と身勝手なルールを自分に作ると、責任のない立場になりたいといった奇妙な行動を生み出す。
立場や役割を超えて、自分に責任ある行動をとれっていうことですね。
そうだ。いいぞ。
その立場・役割が後悔・罪悪感からも作られる人もいるし、使命や志があなたの役割や立場を形成する人もいる。後悔・罪悪感を手放せば、家族という概念が広がり、今を生きることができる。後悔・罪悪感で作られた役割・立場は、言い訳に使われる。
あなたが尊い行動をした時、自我の理由はいらない。謙虚な人は、照れ隠しで、「以前、お世話になったから」と言うだろう。お世話になったならないという概念を超えた人は、きっとこういうかもしれない。
「当然のことをしたまでですから」
あ、それかっこいいかも・・・
殻を破れるかどうかは?
後悔・罪悪感でできている立場や役割を言い訳にせず、使命・志でできている立場や役割を活用して自分を鼓舞しよう。言い訳をつくる役割・立場は自我の殻となり、自分を不自由にさせる。立場や役割を超えて、今の成長にいらなくなった重圧感から自由になり、慈しみの目でいつでも、どこでも見渡せる目を養いましょう。あなたの偉大なる氣づきを通して、世界は肯定される。本当に大切なことは、あなたに氣づかれるのを待っています。
まとめ
自分を閉じ込める役割・立場は、自我の殻の一部。本当のあなたが登らなくてもいい山を登らせようとする役割・立場を解除するにも、後悔・罪悪感を手放す必要があります。後悔・罪悪感は、自我の仮面を脱ぎ去り、自分が素顔・笑顔を見せることで、人との距離を損得勘定で計らなくても済むのです。損得勘定を超えて、尊徳な感情に繋がるにはココロの整理整頓。
現状打破する言霊
重圧をかけているのは、他の誰でもない自分自身。
脱皮で、ハッピー
さなぎの自分から、超になろう。
あなたの笑顔・素顔が羽を伸ばす。
立場や役割に執着すると大切なことに氣づきにくくなる。
立場や役割を使って、相手をコントロールしようとして横柄になったり、コントロールされていると卑屈になってはならない。
殻をむいたら美味しいよ。
カラ元氣を出していたら、本当に元氣になってきた。
啐啄同期(そつたくどうき)