謙虚と卑屈を履き違えない。

 分離という過去の投影・フィルターを通して、 自分を責める事は、自分は罪深い者として、 無条件の愛である本当の自分から遠ざかる 人生の往路をおろおろ(おうろオウロ)彷徨い 続けようとする試み。 自我の作りだす幻想・悪夢ちゃんに反応し、 過剰に自分を責め続けないで下さい。 自分で自分を罪深い者として責め続ける習慣は、 人生の折り返し地点で、今、幸せである栄光を 和価値愛する事で、過去を受け流し、誰もが、 無条件の愛で繋がっている喜びを感じ愛ましょう。 罪や罰は、自我が作り上げてきた身勝手な思い込み であり、思い込みにより、もうこれ以上自分を 責めないで下さい。 自分を責める事が謙虚であると思いこまないで 下さい。 それは、謙虚ではなく、卑屈。 卑屈になろうとしたら、小生が検挙しに行きます(笑) 時間という概念において、過去に有罪と認識して しまったパラダイムから自分を解放して下さい。

時間は幻想であり、時間も空間も超える永遠の今、 真実において、誰もが無条件の愛そのものであり、 今ここにおいて、誰もが無罪であり、後悔・罪悪感 というフィルター、心の雲から自由なのだと 喜び愛・讃え愛・和価値愛たい今日この頃です。 自分を責める人は、必ず他人を責める。 自分を許す者は、人を許し・・・ 人を許す者は、許された者の特権なのだと、 今という栄光の中で教えられました。 今という真実、栄光の中で、誰もが無条件の愛で 繋がっている事を思い出し愛ながら、誰もが優しい 本当の自分に還ってくる事をいつでも、どこでも、 ワタシは待っています。

今日も明日も人生前向きなあなた様にとって、 ますます素敵で明るい日でありますように。

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