今日は、出世魚であるスズキを描きました。
出世魚を描くときは、出世って何だろうって、つい考えてしまいます(笑)
あなたにとって、出世とは?
そんなテーマで人生前向きな皆様と盛り上がれたら嬉しいです。
今日は、精一杯笑顔で生きただろうか?
出世とは?
この質問については、常に他人との比較という尺度で判断されてしまいます。
比較・・・つまり相対的な成功を求めていれば、いつまでも欲の渦に巻き込まれ自分を見失ってしまうのではないでしょうか?
それよりも、絶対的な成功を求めたい。
絶対的成功を意識するようになったのは、お客様に教わりました。思い出しながら絶対的成功について書きましたので、よかったら最後までお付き合いください。
絶対的成功
絶対的成功は、比較や社会的尺度でぶれることがない。
文字通り、絶対なのだから。
一日の終わりに、「今日は精一杯生きただろうか?」という自分への問いかけに、「うん」と言えることなのだそうです。
そのお客様は、「今日を精一杯生きられたか?」と自分に問いかけながら毎日を過ごしているのだそうです。
常に手帳の目につくところに書いているメモを見せてくださいました。う~ん、深いですよね。
今日という日は、誰かが生きたかった日かもしれない。
どんなに不平を言いたくなる日であっても・・・
どんなに不満を言いたくなる日であっても・・・
誰かが生きたかった日かもしれない。
今日はよかった。今日は悪かった。
どんな判断を下した日であっても、今日という日は素晴らしいんだと思いませんか?
誰のためであってもいい。とにかく今日という日を精一杯生きよう。
「長谷川ちゃんは、奥さんといつでも喧嘩できる。喧嘩ができる相手がいるだけでも羨ましいよ」
言われてみて、そんな当たり前のように思っていたことが、当たり前じゃないことに氣づかされる。
感謝の反対は当たり前。
そんな言葉も、普段意識していないと当たり前になり下がってしまう。
大切なことは、すぐに忘れてしまうので、その場で手帳にメモった。
今日は精一杯笑顔で生きただろうか?・・・と・・・
「長谷川ちゃんらしいね」と笑ってくれた。
今日は精一杯生きただろうか?
今日は、精一杯笑顔で生きただろうか?
この質問を自分に問いかけたとき、堂々と「うん」と言えることが絶対的成功であり、毎日「うん」と言えたらどんなに素晴らしいか?!
でも、言うは易く行うは難しですよね(苦笑)
でも、出世や相対的な成功を追い求めるのはやめませんか?
他人と比べて、出世しているのだとか、成功しているかは、もう関係ないはず。
最後に・・・
「今日は精一杯笑顔で生きただろうか?」と手帳に書きながら涙をこらえていると・・・
「長谷川ちゃんの「スズキの絵に一笑懸命」って買いてくれた言葉、生前中、妻が好きだったんだ」と微笑みかけてくれた。
「妻が、『はい、はい(笑)一生懸命じゃなくて、一笑懸命ね・・・』って笑いながら、長谷川ちゃんのスズキの絵、会社の応接に飾ってたよ」
本当にありがたい。
今は、リビングに飾っていてくださっているそうです。
久しぶりにスズキ(鱸)の絵を描いていたら、また熱い想いがよみがえりました。
今日は、精一杯笑顔で生きれましたか?