先週、うちの営業マンが
「昨年、自分のお客さんで、5人もの方が
ガンになられて、そのうちお二人の方が亡くなって
しまった」という話をしていた。
そのうち亡くなった方のご遺族の方から、
「何で、がん保険勧めてくれなかったの?」
と攻められたそうです。
保険屋としては、最もきつい言葉である。
そんな事があって、一度氣になりだすと、
それに関連する出来事、情報が入りだす
から、世の中不思議ですね。
今週、大竹しのぶさんが母親の役である
事実をもとにしたフィクションを
妻と二人で見た。
(妻は、平蔵をだっこしながら見ていたので、
平蔵の顔が妻の涙だらけになってしまたのだが・・・)
本屋へ行くと、
まさにこの本へようこそと言わんばかりに、
目の前に、そして、人生の多大なる影響を与えてくれた
いかりや長介さんの息子さんの本
『親父の遺言』飛び込んできたり。
そんな事が重なり・・・
今まで・・・・
「万が一の保障だけでなく、長生きのリスクに
そなえた一生涯の保障を一生、心を込めて
これから数十年お守り致しますので、
ご安心下さい」と納得、感動をして頂いた上で、
ご契約をして頂くのですが、
お客様に、
「全部払うと辛いので、今回は、がん保険
もう少し、ゆとりが出来たら、追加するよ」
と言われると、
がん保険に関しては、「そうですね」
と引き下がる自分のスタイルにちょっと反省・・・
その同僚の営業マン
曰く
「一度でもがん保険を勧めて、断られるのなら
まだしも、まだ一度も勧めずに、その方が
ガンになってしまったとしたら、後悔して、
自分で納得を絶対にできないだろう」
という言葉に、スイッチが入りました。
大切な方には、一度は必ずご案内しよう・・・と
それは、他の保険種類であれば、
健康条件によっては、加入できなくても
条件が付けば、もしくは、経過年数によって
という場合もありますが、
がん保険というやつは、一度でもがんになったら、
絶対に入れないのだから・・・・
そんな事を考えるうちに、
実際いくらくらいあればよいのか?
会社にある資料などを調べるだけでは
あきたらず、調べていたら、
とあるホームページに
あたりました。
その文章をコピーして、
「会社で、もっともっとガン保険のコミッションは
低くとも使命持って案内しようよ」
と配ったら、その内の一人の先輩が、
泣いていらっしゃったのを契機に、
そのまま、ブログに載せさせて頂きました。
下記に貼り付けてみましたので、
ご興味がございましたら、ご覧下さい。
「この家を手放しましょう」
私が、生前のご本人とはじめて出会ったのは1年前の正月明けだ。白髪の目立つ初老男性で、第一印象は、善良で正直そうな人柄に思えた。身長171cm、体重58kgだ。
「ふつうは体重65kg前後あるんですがね、この1ヵ月で6kg痩せました」
田中氏は、私の目の前で「ゴホン、ゴホン」と激しく咳きこんだ。
「がんになったのは仕方がないと思うんです。いまはね、私は正直言って、この息苦しさを早く何とかしてもらいたい一心です」
呼吸をゆっくり整え、彼は続けた。
「急に息苦しくなると、もうどうやって空気を吸って歩けばいいのか、わからなくなっちゃって。なんかそういうことが最近多くなってきたんです。私、『不整脈』みたいです」
肺がん末期の症状を「不整脈」と呼び、苦しげなその顔と声がずっと忘れられない。この時点で、いくつものリンパ節にがんが転移して、気道(空気の通り道)と食道が両方とも極端に狭まっていた。そのため本人は食事も満足に喉を通らず、ひどい息切れで50mの道が歩けなかったのである。
そんなひどい状況のなか、田中氏はがん治療で重大な悩みを抱えていた。それが「おカネ」であった。
だが、いま思えば、その後のがん治療の選択は間違っていなかったと思う。末期肺がんの明らかな病状を考えれば、大学病院やがんセンターはあっさりサジを投げ、田中氏の寿命はもっと早く尽きていたかもしれない。
そうした経緯を綴るのには紙幅が少し足らないのだが、田中氏が選んだ入院先は都内にある月島サマリア病院。主治医の名は、平岩正樹医師だ。消化器外科が専門だが、一方では抗がん剤治療に情熱を注ぎ、平岩医師以上のがん治療医は国内にそう多くない。
事実、がん治療を開始するや、激しい咳はピタリと止んだ。最新抗がん剤治療が効を奏し、気道と食道を塞いだ転移がんが2週間ほどで見る間に小さくなったからである。
そのころに一度、平岩医師が、田中氏の元気な様子を私に伝えてくれた。
「田中さんはかなり頑張って闘病しておられます。私は感心しています」
一方、田中氏はこう語っていた。
「あの苦しさがウソのようです」
その年の2月、3月、4月とカレンダーの暦が淡々と過ぎ、5月の連休明けごろ、不運な出来事が起きた。がんを病んだ「雇われ店長」の田中氏は突然、失職したのだ。
そのとたん、国民健康保険により自己負担3割(月額平均約10万円)とはいえ、がん治療費が重い家計の負担となってのしかかった。だが田中氏が、いまのがん治療を止めたら大事な命の灯が消えてしまう。このとき、初老夫婦が交わした会話はこうだ。
「お父さん、この家を手放しましょうか。それで治療が続けられるから」
妻のK子さんがそう切り出した。
「いや、治る病気なら売ってくれ」
と、がん末期を悟った夫の田中氏は、その首を横にふったという。
「もう治らないのがわかっているのに、この家を売ってしまったら、あとで困るのはお前だよ、だから俺の病気のためにこの家は売らなくていい」
もう治る可能性はなく、仕事も失った。そのとき何を思ったことだろう。あるいは、こう自問していたかもしれない。命を取るか、家を取るか、と。
そして結果的に、たった一つの命より家族のために「家」を選んだのだ。
「主人が可哀想でした」(K子さん)
約3ヵ月後の昨年8月中旬、田中氏は息を引き取った。その死の10日後、ご遺族のK子さんから私のもとに「涙の報告」があった。
「残念です……」
電話は数分で切れた。短い会話の間、亡き夫を偲んで60歳の妻が何度も声を詰まらせた。私には、その人を慰める言葉はなかった。
命の値段に「平均値」などない
がんは、1981年以来日本人の死亡原因の第1位となり、いまや、中高年の二人に一人は、両親や家族をはじめ身内にがん患者やがんで亡くなった人がいるという。
現に、厚生労働省「平成13年人口動態統計」によると、年間のがん死亡者数が30万人の大台をはじめて突破し、男性18万1393人、女性11万9265人と合計30万658人である。また、がんにかかる人の数も増加の一途をたどり、年間50万人から60万人と推定される。言い換えれば、1週間平均で6000人の命ががんで奪われ、日本中で新しいがん患者は毎週1万人ずつ増えつづけている。
そんななか、がんを病む人は何に苦しみ、どのような悩みを抱えるか。
――命を取るか、おカネを取るか。
常識的に考えれば、愚問中の愚問だと世間の人からは笑われるにちがいない。だが、この国でがんを病み、いざ「おカネ」という現実的な問題に直面したとき、はたして、あなたは笑っていられるか。
このレポートで綴ったように、「病気とおカネ」の問題は、結局、患者個々の事情がさまざま異なり、およそ「平均値」などで語られる性質のものではない、と思う。
しかし今、単なる予算の数字合わせで国民の「命の値段」は決められる。聞けば、中央官庁が年間医療費の伸び率をコンピュータで予測し、国民の怒りには火がつかないよう目配りしつつ、医療費値上げを小手先で繰り返しているという。だが、医療の本質を知らない中央官僚の、あまりに強引な医療政策が裏目に出て、日本中の病院が大赤字に転落したと聞く。そして、多くの国民はたび重なる医療費値上げに対して悲鳴を上げている。
1年前、国会演説で小泉首相が得意げに語った「三方一両損」の結末とはこういうことであったか。よりによって、国民の痛みにきわめて鈍感な為政者が「痛みを伴う医療構造改革」を政治公約に掲げるというのも時代の悲劇だが、この先、どのような世の中が到来するか。最後に内閣総理大臣殿にあえてお訊ねしておきたい。
「小泉さん、あなたは『命の値段』を知っていますか?」
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よしはら・きよし 1948年生まれ。神戸市出身。医療問題を中心に活躍。主な著書に『理想の病院』『名医に聞く最新医療』(ともに講談社)
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このホームページを拝見して、
今まで、データとして、
かかった医療費の平均値でしか把握していなかったのですが、
実際には、使う薬の種類や入院日数によって、こんなにも
経済的にも隔たりがあるのかと実感致しました。
まだまだ自分が勉強、
そして、しなくてはならないこと、
大いに反省する今日この頃です。
そんな事を伝え続けることが、
長谷川のやりがいでもあり、情熱を与えてくれる同僚や
人生前向きなお客さま、友人に感謝の氣持ちでいっぱいです。
今日は、
昨日文章が打てなかった分、
長くなってしまいました~