まず最初に、「魚画伯って何者?」と思われた方も多いのではないでしょうか?!
今までの私をよく知る方々は・・・
- 魚の絵を描く保険屋さん。
- 整体ができる保険屋さん。
- 魚の戦略カードでコーチングができる整体師さん。
とイメージは、人それぞれ・・・
コロナ禍で頻繁に救急車のサイレンを聞く度、「何のために生きるか?」「自分の使命とは?」を見つめ直し人生観が変わました。
「絶対に今のままじゃいけない、いったい世の中はどうなっているんだ?今の自分には、何ができるか?」と自問自答した結果・・・
誰もが
「この時代に!この日本に!生まれて本当によかった!!」と
ココロの底から思う世界を作る
誰もが
社会的奴隷から解放され、自分のゴールや生きがいを見つけ、
ココロの底から本当にやりたいことに集中できる世界を作る
誰もが
毎日を楽しみながらセルフイメージを爆上げし、
ピンチをチャンスにいくらでも変えられる世界を作る
出逢った方が、ココロもカラダも整えらるスーパー・プロデューサーとして、少しでもお役に立てたら嬉しいです。
今まで出逢って下さった方、本当にありがとうございます!!
出逢いに感謝しながら、更に喜びを分かち合い、人生の後半戦は、仲間と共にもっと一日、一日を大切にしていきたいです。
ココカラダ!!魚画伯(さかながはく)のプロフィール
本名:長谷川 隆之(はせがわ たかゆき)
昭和46年3月1日千葉県柏市生まれ
現在、妻と子供3人(2人の娘と末っ子長男:平蔵)の5人家族
背が高いのに体が弱く、いじめられっ子だった小学校低学年の頃
生まれも育ちも、千葉県柏市。ほぼ柏や流山しか知らずに育ちました(笑)
柏駅の東口から歩いて行ける産婦人科医、券石堂病院さんで産声をあげました。
赤ん坊の頃、寝つきが悪く夜中ずっと畑で、おんぶしてくれていた母親。その際は、大変苦労をかけました。
母親の背中から見上げた天の川の偉大さ。今でも目を閉じると畑の空に広がる天の川が昨日のように感じます。柏も田舎でした(笑)
いざ自分が親の立場になってみると、長女の寝つきが悪かったので、「寝かしつける」って本当に大変でした。改めて親のありがたさ、身にしみます。本当にありがとう。その分、次女はとても寝つきがよく、楽だっだ。
小学校の頃は、風邪もひきやすく、カラダが弱かった。
「体が弱いのに、背だけは高く目立つ」というだけでいじめられっ子でした。しかし、小学校4年生の担任の先生との出逢いをきっかけに、性格が明るくなれました。振り返ってみると、いじめられっ子と言っても、現代のような陰湿ないじめではなかったのは、幸いです。
中学に入って・・・
中学1年から高校3年まで6年間、学級委員長「6年間も学級委員長やるなんて、頭よかったんだね」と言われそうですが、決してそんなことはありません(苦笑)
いじめられっ子だった経験から、「いじめられている人や困った人を見るとほっとけない性格」はこの頃に形成されたのかもしれません。
そんな私の「ほっとけない性格」に、人生の転機がやってきたのは1996年の秋。
保険に関する大切な情報を伝え続けることで保険業界を変えたい。
商社を辞めて、保険業界に
1996年・・・社会人として2年ほどたった頃。
「保険業界に旋風を巻き起こさないか?」と誘われ外資系の保険会社に転職。
「困った人を助けたい」という想いとフルコミッション(完全歩合給制度)という目の前の現実。
「人脈を活かして営業してこい」と言われても・・・
当時、人脈と言われるのは、学生時代の友達くらい。社会人経験が短いというのは、大変なハンデでした。人脈などほとんとない新米保険営業マン・・・頼りとなる行き先は、家族・親戚・友人だけ。
今、振り返ってみると高校の同級生が通う総合格闘技の道場に飾ってあった言葉「慌てず・焦らず・諦めず」・・・改めて、いい言葉だな~この頃の自分は、慌てて、焦って、諦めてたかも。
理想と現実のギャップ
保険は大切な人を守りたいという想いからできたもの。だからこそ、いちばん大切な人からご案内すべきものだと新人研修で教わりました。
同期や先輩には、「身内や知り合いには保険を勧められない、断られるのは嫌だ」とか、「本当に自分の成績がピンチになってから身内や友人のところに行く」と言っているのは、邪道であり、自分は親や本当に大切にしている友達から行くんだと奮起していました。
しかし、当時は、「大切な人からお勧めするのが使命」なんて言うのは、欧米だけの話。
日本では、保険の営業は、義理・人情・プレゼントがよくも悪くも当たり前の世界でした。
業界で長い方は、ご存知かもしれませんが、GNPなんて言葉ありましたよね。
国民総生産じゃありませんよ。
G(義理)N(人情)P(プレゼント)の略。
「GとNって英語じゃないじゃん」なんて言っていた頃が懐かしい。
転職してから、5、6年経ってから「職業は?」と聞かれて、胸を張って「保険屋です」と言えるようになりましたが、1996年当時の日本では、保険を扱うプロフェッショナルに対する社会的認識がきわめて低かったのもあり、保険屋となかなか言えずに、「ファイナンシャルプランナーです」とか「ライフコンサルタントです」と、ぼそぼそ遠回しな表現しかできませんでした。
営業不振が続くと、同期が言っていた言葉「成績がピンチになってから身内や友人のところに行く」って、大切かも・・・なんて思っていた自分が情けない。
毎月が崖っぷちでした。
使命は空回り。
仲の良かった友達から「保険の営業で電話してきたのなら、友達やめるぞ」「二度と電話してこないでくれ」と言われ続けるのには、うんざり。
今でこそ、そんな「友達やめるぞ」「電話してくんな」と言った理不尽な言葉は、もう流石に言われなくなりましたが、当時は、そんな言葉に敏感になり過ぎて、完全に自分自身を見失っていました。
「保険業界に旋風を巻き起こす」どころか、自分が旋風に巻き込まれ、ぐるんぐるんに目が回っていたと思います。
使命とは名ばかりで、その頃の自分には、使命感が足りなかったんでしょうね。
あの頃の君は若かった~♬
お客様の喜びの声に支えられました。
今では大切な思い出であり、必要な経験だと思っています。
お客様の喜びの声を集めだすと、使命感とは何か見つめ直すことでき、そして、使命感が分かりかけてくると理不尽なことをおっしゃる人は、全体から見れば、ほんの一部であるということも分かってきました。「友達なくすぞ」と最初に言っていた友人は、自分のココロが試されていたんですね。
お客様の喜びの声に残してくれた大学の友人が嬉しいメッセージとは?
そのメッセージを改めて読み返してみると「来る者拒まず、去る者追わず」という大学の友人の言葉が目に飛び込んできました。そんな友人のおかげもあって、更に保険屋としての仕事に誇りが持てました。そんな大学の友人のメッセージに救われたことが、つい昨日のことのように感じます。
「来る者拒まず、去る者追わず」という言葉をもっと早く知っていたら、もうちょっと氣持ちがブレずに仕事できていただろうに。
あの頃は、来る者(チャンス)拒んで、去る者追っていたように思えます。
「保険屋だから、厳しいことを言われるのは、仕方がない」と言い訳しながら、本当は、保険という業界をどうのこうの言う前に、自分自身を磨くことを怠っていたせいだと今なら分かります。
この当時の自分に会えるとしたら、「苦難は福門だよ」と言ってあげられるのにね。
人生の目的を考える機会を与えてくれた1冊の本
保険の営業マンとして自身をなくすだけでなく、少しずつ人間不信になりはじめた頃・・・
当時の営業所長より一冊の本を勧めてくれました。その本が、『7つの習慣』です。
この本との出逢いがなければ、今の自分はいなかったと断言できます。
その本を通して、仕事に対する取り組み方や人生の目的も真剣に考えるようになりました。
この本に出逢う前は、営業のテクニックを集めたような本ばかり読みあさっていたように思えます。今、振り返ると営業テクニックで保険を売ろうとしていた自分が恥ずかしい。
テクニックは、人格が備わってから活用できるものであるはずなのに・・・
原理原則から外れ、遠回りな人生だった(笑)
『7つの習慣』という本を通して、「Win-Win」という言葉に出逢えたのは、本当にラッキーでした。仕事はもちろん、プライベートにおいても、「Win-Win」は常に意識しています。
『7つの習慣』は、今でもバイブル。
この本は、心のスキ間を埋めるように、人生や事あるごとに、何度も読み返しています。
この本のおかげで、大切なことに氣づき始めると、少しずつ、お客様や友達から「最近、ずいぶんいい顔つきになってきたね」と言われるようになりました。
当時、この言葉は、本当にありがたかったです。「もしかして、自分成長できているかも」ってようやく自身が持て始めた頃・・・
絵手紙との出会い ~絵師 魚画伯(さかながはく)の誕生~
先輩の勧めで始めた絵手紙
『7つの習慣』のおかげで、人間不信も解消し始めた頃、同じ保険会社S先輩の勧めで、絵手紙を始めました。
「長谷川ちゃん、筆マメだから、絵手紙やってみたら?」
このS先輩の言葉が、人生を変えてくれました。S先輩本当にありがとうございます。
はがきに絵を描き、文字を書いて真心を込めて贈る手紙のことす。絵が上手いから描くのではなく、「下手でも誰かに喜んで貰いたい」そんな優しい気持ちを伝えるために描く手紙です。
絵手紙 は、『心の贈り物』
ご契約のお礼状や商談のお礼状を絵手紙に変更後、絵手紙にすっかりハマった自分は、名刺交換をしただけでも、全員に、絵手紙を出しまくっていました。
名刺交換させて頂いたから絵手紙を出したいのか、絵手紙を出したいから名刺交換したいのか、よく分からなくなっていました。
絵手紙を出し始めた頃、「20代で若いのに絵手紙なんて珍しいね」と言われるのが、とても嬉しかった。途中から「若いのに・・・」という言葉は言われなくなりましたが・・・(笑)
今では、人生後半戦を迎えて、絵手紙は年相応かも・・・
そんな絵手紙に夢中になった頃、おかげさまで、保険の業界誌の表紙にも掲載されました。
絵手紙を出し始めて1年くらい経った頃に変化が・・・
絵手紙を出し始めて一年くらい経った頃でしょうか?
ウソのようなホントの話
自分の絵手紙が、お客様の応接室やご自宅に飾られ始めたのです。
運氣アップ?
『長谷川ちゃんの絵手紙をトイレに飾ると運がよくなるんだ』と言ってくれる方が増えはじめました。
そんな嬉しい声に支えられて、絵手紙に、どんどんのめり込んでいきました(笑)
当時の絵を10年以上経った今でも飾って下さっているのは、本当に嬉しい。ご自宅や会社に訪問した際、自分の魚の絵と言葉を見ると感謝の気持ちでいっぱいになります。
言葉の逆輸入になる時もあります。過去の背伸びしていた自分に勇氣づけられたり・・・(笑)
飾って下さる優しいお客様に囲まれていなかったら、魚の絵を描き続けることはなかったかもしれません。本当にありがとうございます。
魚の絵を通して広がったご縁
いつの間にか、魚の絵ばかり描くようになっていたら、新しい出逢いが生まれました。
野田の青年会議所の先輩のおススメで、お寿司屋さん(たか寿司さん)で、「魚の絵を入れたメニューを描いて」と頼まれました。その頃から、魚の絵が独り歩きしはじめてました。
お陰様で、長谷川隆之という名前は忘れても、魚の絵を描く人ということで思い出して下さる方も少なくはありません。
占いとの出会い ~占い師 長谷川隆之の誕生~
肩こり・頭痛に悩むようになる
日々営業で飛び回るようになり、お陰さまで、仕事も本当に楽しくなってきた頃・・・
新たな悩みが出てきました。
その悩みとは、頭痛と激しい肩こり
重い鞄を持ち歩いてきたからか?
頭痛と激しい肩こりに悩まされるようになりました。
肩が凝り始めた最初の頃は、リラクゼーションのお店で、ほぐしてもらえば、楽になったのですが・・・だんだん、症状がひどくなると、もみほぐしだけでは、痛みがとれない。
先輩やお客様のご紹介で、鍼(はり)や骨格調整を中心とした整体など・・・いろんなお店を転々・・・
今、思えば、人と直接ふれあう仕事をしてみたい!と芽生えた頃だったかもしれません。
ついにカラダの限界。
カラダが歪むとココロも歪むって本当ですね。
忙しいだけでなく、カラダが悲鳴をあげると、夫婦の会話もが少なくなってきたした。肩こりがつらすぎて、会話をする氣にもなれない。
占いをする整体との出逢い。
子育てとヤクルト販売で飛び回り、疲労がピークになった妻
と
仕事と青年会議所の活動を言い訳に、あまり家にいない自分
夫婦の会話が少なくなり、夫婦関係も微妙になり始めた頃。妻がヤクルトのお客様として知り合ったアロマオイルを使った整体の先生に出逢いました。
それまで、色んなジャンルの整体や針の先生のところには、行ってましたが、全身オイルで流してくれるところは初めて。ある程度、強く押される方が氣持ちいいと感じていた頃でしたので、「そんなオイルで流されるよりも、ぐいぐいやってもらった方がいいんだよね、いくらお得意様だからと言って、大丈夫?」なんて半信半疑でしたが、とても上手な方でした。
整体の腕もさることながら、アロマオイルマッサージの後、オラクルカードを引いて、カラダだけではなく、ココロも整えてくれたのでした。
数十枚が1セットになり、どれも目を引く絵柄が描かれている点ではタロットカードにも似ていますが、タロットと異なるオラクルカードが独特なのは、カードに書かれているメッセージにあります。
タロットでは絵柄、図式から占う人がそのカードの意味を読み取りますが、オラクルカードには直接メッセージが神託として描かれているので、カードにあまりなじみがない人でも使いやすいという点が、オラクルカードが多くの人に受け入れられている理由です。
オラクルカードについては以下のサイトでも紹介されていますので参考にしてみてください。
ココロも、カラダもつらかった夫婦にとって大切な時間
夫婦で、カードを引いてもらいながら、その人を通して、夫婦の会話がだんだん増えるようになりました。それまでは、「占いって、なんだか怪しい・・・」「占いは弱った人が行くところ」くらいしか思っていませんでした。
世の占い師さん、占いに行かれる皆様、本当にごめんなさい。
占いにとって大切なこと
今、振り返ってみると、怪しいのは占いそのものではなく、占う人自身の人格がどうかによるものだと思っています。だからこそ、人格者でなければ、占い師になってはいけないとも思います。
「仕事、仕事・・・」と明け暮れる自分に、オラクルカードを通して、「本当に大切なものは何か?」見えてきたような氣がしました。占いに出逢わなければ、家庭の幸せのために仕事があるのに、仕事のために家庭があると錯覚をしていました。優先順位を完全に、はき違えていました。
保険の成績さえよければ、すべてうまくいく・・・なんて驕りも高ぶりもいいところですね。
「何のための仕事か?」「何のために働くのか?」
カラダが悲鳴を上げることで、今の自分が、当時の自分に価値観の揺さぶりをかけていたのかも知れません。
当時の若かった俺、聞こえているかな?
そんな経験から、次第に「自分もココロもカラダも整えられる仕事をしたい」と夫婦で、考えるようになりました。その頃は、今のようなスタイルになるとは思いませんでしたが、紆余曲折しているようで、そう思っているのは自分だけで、実は、自然の流れだったのかもしれません。
この頃は、肩こりもだいぶ楽になってきたのに、夫婦で占いをして欲しくて、妻の昌子ちゃんに「そろそろ、アロマの〇〇さんのところに見てもらいに行かない?!」が日課になっていました。
当時は、月に2~3回くらい行ってたかも・・・
その頃の自分は、損保の研修生として、火災保険の申込書を立て続けに作るマシーンのようになっていたので、ココロもカラダも特に疲れていたんでしょうね。だいぶ癒され、ココロもカラダもかなり背中を押されました。
オリジナルカード「和価値愛(わかちあい)カード」の誕生
本来の自分自身のあり方が見え始めた頃、アロマの先生より「この人、まるで自分のココロが見えているんじゃないか?」と思うようなようなタイミングで、再び人生の歯車が回りはじめたのです。
その先生から言われた言葉とは?!
「魚の絵と素敵な言葉を描いている長谷川さんなら、きっと感性も鋭いから、自分で占いのカードを作れるんじゃない?」と言われたんです。
魚の絵は描けても、それは無理(笑)
即答で、「そんな占いのカードを何枚も作る才能などないですよ」とお断りしたのですが・・・
そんな日の夜、奇跡が起こったのです。
深夜に、カードに描きたくなるようなメッセージが湧いてくる夢を見たのです。
なぜそんな夢を見たのか?今でも、分かりません。
カードを通して、伝えたいこととは?
夢に出て来たメッセージは、
「※天と地を融合する使命を全うせよ」
浮かんだ瞬間「なんじゃそれ?!」と全く意味が分かりませんでした。
意味も分からなければ、「カードを作るためには、2~3ヵ月はかかるだろう」と思っていたのですが、なぜか3日で文章が出来上がりました。
書き上げるまでの3日間
何かにつき動かされているようで、不思議な感覚の3日間でした。作業としては大変でしたが、かきながらとても充実していたことを覚えています。魚のカードが完成したとき、新たな氣持ちといよりは、なんだか懐かしいなと思ったことが今でも鮮明に覚えています。
誰が文章考えたのか、今でも分からない
最初、「えっ?!こんなこと自分で考えたの?」と自分でもびっくりしていましたが、これは自分以外の何者かが乗り移ったとしか思えない。単に潜在意識のいたずら?とも思えない。
ちなみに、「もう一度同じもの描いて」と言われたら、絶対に描けない自身があります(笑)
※天と地を融合するとは?
天命に生きようとするがばかりに日常生活が疎かになっている人、地に足はついていても本当の自分から遠ざかり生きる目的を見失っている人、これらのバランスを欠いている人を導く事を言います。
生まれて来た目的や使命・志を通して、精神的にも肉体的にも霊的にもバランスを整えるお手伝いをしたい!
3日で出来上がった文章は、22枚の潮の流れカードと49枚の愛の羅針盤のカードに込めました。
お客様の悩みを解決したくて・・・
仕事柄、いろいろなお客様の悩みに出逢います。
お客様との関係が深まってくると保険の相談だけでなく、いろいろな相談事が増えてきます。
謙虚に、問題解決に努めているつもりですが、日々アドバイスを求め続けられ、「先生、先生」なんてもてはやされるとつい「アドバイスしてやろう」なんていう邪な自分が邪魔をしようとします。
そんな時に、和価値愛カードが、とても役に立つんです。
なぜかと言うと、カードをシャッフルしていると・・・
「格好よくアドバイスしよう」といった邪なココロが消えて、純粋な意識に変わり、「こんな事をお伝えしたら、失礼にあたらないかな」という余計な不安も消えていくのです。
カードを引く時に氣をつけていること
カードをシャッフルする時は、相手の質問と相手の氏名(使命)を問いかけ、邪念が祓われているとイメージし続けると、なぜか自然に、「今このタイミング!!」って感じで、その人に一番必要なカードが出て、自分でも想像していなかったような情報が降りてくるのが分かるようになってくるのです。
カードを無心でシャッフルしていると、思考を超えて、相手の氏名(使命)が語りかけてくれるのです。この感覚を一度味わってしまうと今まで、いかに邪念に振り回されてきたのが、よく分かります。
占いを始めた頃は、相談内容が、「どうなったら自分がうまくいくのか?」「今後、自分は運はよくなるのか?」など、みんな自分がどうなりたいかが中心でしたが、魚のカードを引くにつれ、「どうやったら、まわりの人を喜ばせられるか?」「自分の使命や志を全うするには、何から始めればいいの?」という質問に変わってきたんです。
純粋意識に触れることで、出逢う人たちも、質問内容もレベルアップしてき始めてきたんです。改めて、「まだまだこれからだ」と自分を鼓舞し、毎日成長しかないなと思う今日この頃です。
最初は、自作の占いカードと言っていましたが、多くの経営者の方より、「占いと言うより、哲学だ。占いというイメージがよくない」「単なる占いを超えて、事業のアイデアや戦略が浮かぶから会議でも使用したい」というお声を頂くようになり、今では魚の戦略カードとして喜ばれるようになりました。
魚の戦略カードを通して、「他人の役に立ちたい人」「相手の喜びと自分の喜びが一致している人」が、まわりに増えてきているのは、魚の戦略カードを作って本当によかったと思います。
目の前の人を癒し、勇氣づけられることが、自分の使命であると漠然としていたことが、確信に変わりつつあったのは、青年会議所を卒業を控えて、次の目標を探していた自分にぴったりなタイミングだったようです。
整体(内臓調整療法)との出会い ~内臓調整療法師 長谷川隆之の誕生~
和価値愛カードだけでなく、占いを教えてくれた先生から、「オイルの整体を習おうかな?」と思っていた矢先、自分のぎっくり腰で、また新たな扉が開きました。
子供たち3人連れて、ヤングボウルさんに行った時のこと、「父親として、かっこいいところを見せよう」と渾身(こんしん)の第一投で、いきなり腰に激痛が走ったのです。
人生初めてのぎっくり腰です。
ぎっくり腰って、魔女の一突きと言いますが、本当にその通りだと思いました。
経験がある方は、共感して下さると思いますが、あの痛みは衝撃的ですよね。
本当に立てない・・・
子供たち3人が『パパ大丈夫~?』ところに心配して集まってくれたことは、とても嬉しかったのに、その時は、『お願いだからパパに今、触らないで』としか言えませんでした。
地元の青年会議所を卒業して、久しぶりの家族サービスだ~と張り切り過ぎたのかな?
「これからは家族の時間を大切にしよう」と思って行ったのに、第一投でぎっくり腰とは・・・トホホ・・・痛いやら・・・情けないやら・・・
その日は、何とか1ゲームだけは、何とか投げ終わって、整体に駆け込みました。
駆け込み寺のような気持ちで行った整体の先生に言われたこと・・・
ぎっくり腰が教えてくれた・・・腰痛と内臓との関係とは?
意外だった!!
整体の業界に踏み切った先生の一言とは?!
「どうして腰を痛めたと思いますか?」
この質問で運命が変わりました。
『内臓体壁反射』という言葉を始めて耳にした瞬間です。
どうしてって・・・・そんな・・・・
腰を痛めたのは、「単に運動不足だったから?」「投げ方が悪かったのかな?」と先生の前でぶつぶつ言い訳を考えていました。
ぎっくり腰の原因って、皆さんも、そう思っていませんか?
確かに、準備運動が大切だったり、ボーリングの投げ方が正しいかどうかも重要ですが・・・
投げるフォームの悪さなどは、トリガーに過ぎない!
「原因は、普段から姿勢が乱れていた!(腰の巻き込み)ということ。その慢性的な腰の歪みに氣づかず、ボーリングが、今回たまたま引き金となっただけ」だと言うのです。
いつ痛めてもおかしくないカラダだったということが、一番の原因だったんです。
目からウロコでした。
アロマの先生との出逢いをきっかけに、漠然と整体師になりたいという意識がなければ、ぎっくり腰の原因を説明する先生の話を「へぇ~そういうもんなんですね」と聞き流していたかもしれません。
「説明はいいから、早くこの痛みを何とかしてくれ」と思わず、自分の腰の痛みをすっかり忘れて、先生の話に夢中になっていた自分がいました。
説明を聞き終わると思い出したかのうように、また痛みがぶり返しました・・・
内臓調整療法を極めたい理由とは?!
自分が内臓内臓調整療法を極めれば、「保険のお客さんが入院しなくてもすむようになる」「医療保険のお客様が、なぜか?!一度も入院しないという伝説が作れる」と興奮しちゃいました。
整体の学校では、単に筋肉のほぐし方や、「このように施術したらお客さんが気持ちよくなるよ」という内容ではなく、内科の先生も参加するような解剖学や専門的なことが学べたんです。
そんな話を聞いていたら、いてもたってもいられず、整体のできる保険屋を目指そうと南先生の内臓調整療法師会の門をたたきました。だって、お客様のキャッシュフローを改善するためには、絶対に健康であることが、絶対にいいですよね。
そして、肩こりや腰痛に悩む妻も助けたいし!!
妻、昌子ちゃんは、「あたしの肩こりや腰痛を治すためが、整体師を目指す一番の理由じゃなかったの?!」と今でも時々突っ込まれます(笑)
「もちろん、昌子ちゃんが一番だよ」
「よ~し、みんなのカラダも治って、喜ばれるし、保険屋としての付加価値にもなるし、やるぞ~」と盛り上がっていた時間は、そんなに長く続きませんでした。
現実は甘くはなかった。妻の悲痛な叫び。
整体の学校に通い、解剖学に夢中になればなるほど、歩合給である収入は、真っ逆さま。収入の大幅なダウンにより、整体の学校の後期授業料も払えないかもしれないピンチがやってくる。
今から思えば、妻の一言は当然。
「もう整体の学校のことは忘れて、保険の営業に集中して」
「後期の授業料どころか、今後の生活費はどうなるの?」と言われ、「これは絶対に必要な投資なんだ」「絶対にみんなの役に立つんだ」と言い返しても、先に不安で頭がいっぱいで前に進めない状況。
妻に「言わされなくても、そんなこと分かっている」と言ったところで、何の説得力もない経済状況でした。「3人の子供もいる親なんだから、もういい加減、夢見るのはやめて」と自分に伝えなければならない妻は、本当に辛かったことでしょう。
言われる自分も辛かったけど、言わなければならない妻は、もっと辛かったに違いありません。
辛い思いをさせてごめんね。
本当は自分に自信がなかっただけなんだけどね。
その頃は、「ドリームキラー」自分のココロを試す存在や現象なんて言葉は、知らなかった。
必然の映画との出逢い
夫婦の関係がギクシャクしていた頃、実家の母の誘いで、家族で映画を観に行くことになりました。家にいても喧嘩ばかりになってしまうから、氣晴らしに映画もいいかもと思ってでかけると・・・
母が観たかった映画は、『奇跡のリンゴ』でした。
主人公の木村さんが、自殺しようとして一人で山に入るシーン・・・「おいおいこんな心境で、この映画はないだろう」と思って、極力俯瞰しながら観ようと思っても、最後は、自分の状況と照らし合わせてしまい、嗚咽が出そうなくらい、涙が止まらなかった。
その後、冷静に読もうと思って、原作本も購入しましたが、数年、辛すぎて冷静に読めなかった。
「映画の木村さんには奇跡が起きたけど、自分には奇跡は起こらないのかな?」なんて自分を責める日々。映画は映画、現実は現実・・・って、どこかで言い訳をしようとする弱い自分がいたのかな?
今なら、冷静にじっくり読めるかも?
整体の学校を諦めかけた時、救ってくれた存在とは?
そんな時、流山青年会議所のT・H先輩のアドバイスが救ってくれました。
「長谷川ちゃん、後期の授業料、自分が立替えてあげてもいいんだけど、長谷川ちゃんには、魚の絵があるんだから、絵を売れば、授業料くらいにはなるんじゃない?」
「え?自分の魚の絵が売れる?」
目の前の霧が晴れた瞬間でした。
その先輩が、お仲間の同じく流山青年会議所のS・G先輩に絵を勧めてくれたり、小生の志を理解してくださるお客様のご紹介もあり、一か月で後期の授業料を振り込むことができました。
「みんな画伯の夢のためだ。みんなで画伯の絵を買ってあげようぜ」って、運河のお店で流山の先輩たちが盛り上がってくださったのは、本当に嬉しかったです。
流山のパワースポットです
奇跡は映画だけじゃなかったんだ・・・自分は運河いい!!
あまりの嬉しさにお店から運河の駅まで歩きながら泣いたことが今でも昨日のことのようです。
(いや~い、泣き虫~)
そんなご縁に支えられて、整体の学校に行けるのだから、これは絶対に途中で諦められない!!
こうして、ますます整体の魅力にのめり込んでいくのでした。
学校を卒業後
紆余曲折しながら、何とか整体の学校を卒業ができ、一度は諦めかけた内臓調整療法師。
お陰さまで、形だけは整体師になれました。卒業したと言っても、まだスタートラインに立っただけで、経験もなければ、知識も技術もまだまだ未熟。
卒業後も、地元の仲間が小生の志に賛同してくれて、整体に使うボディクッションの購入費を出し合ってくれたり、本当にいろんな方に支えられて、今日があります。
内臓調整療法師となってから、3年後の話
たくさんの方に支えられたおかげで、内臓調整療法修師になれました。そして、師範研修会にも参加できる権利が与えられました。
卒業後、お礼も兼ねて、学校を勧めてくれた先生のところにご挨拶。
その時までずっと「自分を整体の業界に勧めて下さった理由」が氣になっていました。
その先生もアロマの先生の時のように、「何か運命のようなことを感じ取って、きっと自分を勧めて下さったに違いない」と思って聞いてみると・・・
ところが・・・
「そういえば、先生、なんで、整体の学校を自分に勧めてくださったんですか?」
笑いながら・・・
「ああ、それは、長谷川さん、手が、でかいから整体に向いていると思ったから」ですって。
なんとシンプルな理由・・・もっと深い理由があるのかと思った(苦笑)
「えっ?それだけ?」と最初拍子抜けしましたが、経験値が上がってくると、手が大きいって本当に大切なんだと思いました。
お陰様で、最近お客様から「長谷川さんの手とても安心する」ってよく言われるので、この仕事に向いてるのかな?と先生にも感謝の氣持ちでいっぱいになると共に、大きな手に産んでくれた両親にも感謝ですね。
今までの出逢いを振り返りながら・・・
こうして、いろいろな先輩、師匠、先生との出逢いがあり、現在の魚画伯こと長谷川隆之ができあがりました。本当にたくさんの方に支えられて、人生の節目に改めて、プロフィールを加筆修正しながら、感謝の氣持ちがいっぱいになり、またちょっと泣きそうです。
家族の反応
ずっと寄り添って、支えてくれた妻、昌子ちゃん、本当にありがとう。まだまだ発展途上中だけど、これからも宜しくね。
そして、節目に「パパ、これから整体師一本でいくから宜しくね」と家族会議を開いた時、「うん、いいよ、パパ頑張ってね」「パパ、保険屋さん辞めちゃうの?でも、いいんじゃない、スーツ姿もいいけど、パパ、そっちの方がイキイキしてるよ」と言ってくれた子供たち、ありがとう。
「平日のお客さんが入り始めるまで、しばらく収入が減って、贅沢できないけど」「うん、大丈夫、ちょっとの辛抱だよね」「私も頑張る」「うん、俺も・・・」
内臓調整療法師としてのこだわり
整体の師匠の言葉『治すのではなく、治ってもらうカラダを作るお手伝いをする』
師匠は、そういう氣持ちで、いつも内臓調整に挑んでいるそうです。
治すのは、お医者さんや薬ではない。
まして整体師でもない。
自分のカラダを治すのは、自分自身の免疫力なんだ!!
施術者である自分が治そうとすると魔(ま)がさすと教えてくれました。
これは、整体に限らず、すべてに当てはまるような氣が致します。
映画『赤ひげ』から教わったこと
そんな時にいつも浮かぶのは、黒澤監督の映画『赤ひげ』のセリフを思い出します。
「病気の影には、いつも人間の恐ろしい不幸が隠れている」
医術といってもあらゆる病気を治すことは出来ず、その医術の不足を補うのは貧困と無知に対する闘いであると赤ひげは諭し、「病気の影には、いつも人間の恐ろしい不幸が隠れている」と語るシーン。
カラダの不調の影に何があるのか?
整体師と言えども、医師の免許がある訳でもなし。「治す」という言葉が使える訳でもなし。
しかし、その場限りの痛みや不調の解消に努めるだけでなく、出逢った方の人生に寄り添いながら、ココロもカラダも整えられる整体師として、「今できることは何か?」を常に追求しながら、人間的にも成長していきたいです。
自分が本氣でよくなろうと思わない限り
「自分自身がよくなろう」と本氣で思わなければ、どんな素敵な人に出逢っても、どんな素敵な本を読んでも、どんな素敵な景色が目の前にあふれていても、変わらない。
扉は、自分の内側からしか開かないことを知りました。
だからこそ!
- もう自分のためだけに生きることはできない。for meではない。
- もう他人のためだけに生きようとすれば、長続きしない。for youでもない。
- 共に成長したい。常にwith youでありたい。
他人と過去は変えられない。
変えられるのは今と未来と自分自身
恩返しを通して、過去の事実は変えられないけれど、過去の解釈は変えられると思っています。過去をくよくよ悩むよりも、今日をよくよく生きることで、過去も素晴らしい人生だったと思える。
今の自分を肯定することで、過去の出逢いや経験に感謝できる。
昨日までの自分ができなかったからと言って、今日も明日もできない確証はない。冷静に分析したようなふりをする脳の身勝手な解釈に騙されてはいけないと自分を言い聞かせています。
速くなろうとするな。速いと知れ! by モーフィアス
その氣になればいい。その氣にさえなれば、誰でもできる!!
「できるようになろう」とするんじゃなくて、できると知ればいいのさとモーフィアスに教わった。
「勇氣だ」「愛だ」と騒ぎ立てずに、その氣になればいいのだ。
「夜明けだ」「朝だ」と騒ぎ立てずに、その眼を開ければいいのだ。
今から一緒に! これから一緒に! 整体に行かないか?! by 今日か明日か!励ますか!
内臓調整療法を通して、人生の背中を押します。
「何でもできる!!」とその氣になって、みんなそれぞれの道で、ナンバー1になろう!!
誰もが自分の人生では、自分が主人公であると思い出して欲しい。
カラダの声を聞きながら、単に痛みがなくなった・・・だけじゃなくて、自分の人生にワクワクウキウキして欲しい。
整体と保険の枠を超えて、ワクワク楽しみながら、出逢った仲間たちとウキウキ喜びを共にしたいです。