ココ・カラ・ダ(DA!)魚画伯のプロフィール

魚画伯
ホームページにお越し下さり、ありがとうございます。
 

「魚画伯って何者?」と疑問に思われた方も多いかもしれませんね。

実は、私のことをよくご存じの方々からは、こんな風に呼ばれることがありました。

  • 魚の絵を描く保険屋さん
  • 整体ができる保険屋さん
  • 魚の戦略カードを使って占いをする整体師さん

それぞれに、私に対するイメージがあるようです。

ここ数年、大切な方々を立て続けに見送る中で、保険業を通じてご遺族の支えになることの大切さを改めて実感しました。ですが同時に、「今をどう生きるか」「どんな環境で日々を過ごすか」 ということの重要性を痛感するようになりました。

そうした想いから、不動産業界へと飛び込みました。
ドラマ不動産の影響もあり(笑)

改めて、こんにちは。

整体占いでココロもカラダも整えられる不動産の魚画伯です。

誰と、どこで、どんな毎日を過ごすか・・・。

残された人生は、思ったよりも短いからこそ。

人生の舞台となる大切な「住まい」を通じて、特別な日も、そうではない日常も、誰もが幸せで楽しく過ごせる環境づくりのお手伝いをしたいと考えています。

保険業界で培った「人に寄り添う姿勢」を活かしながら、心から安心できる住まい探しを全力でサポートいたします。

誰もが
「この時代に、この日本に生まれて
本当に良かった!」
と心の底から感じられる世界

誰もが
社会的抑圧から自由になり、
自分の生きがいを見つけ、
心からやりたいことに集中できる世界

誰もが
毎日を楽しみながら、
自分のセルフイメージをどんどん高め、
ピンチをチャンスに変える力を持つ世界

まちづくりに貢献しながら、地元や日本に恩返しできたら嬉しいです。
これまで私と出会ってくださった皆さま、ありがとうございます!

人生はキャンドルサービスのようなもの

出会いに感謝し、抽象度をあげて、もっと多くの人と喜びを分かち合いたいです。

整体も占いも不動産も正直に!!
「情報空間」だけでなく、「物理空間」も整えるお手伝いをしていきます。

どうぞ、これからもよろしくお願いします!

魚画伯
なぜ、ココロもカラダも整える不動産屋になったのか?!
 

もしよかったら、これまでの私の歩みと想いに少しだけお付き合いください。

なぜ保険業界から不動産業界に飛び込んだのか?
その理由も含めて、自己紹介させていただきます。

ココカラダ!!魚画伯(さかながはく)のプロフィール

image_profile1

本名:長谷川 隆之(はせがわ たかゆき)

昭和46年3月1日千葉県柏市生まれ
現在、妻と子供3人(2人の娘と末っ子長男:平蔵)の5人家族

背が高いのに体が弱く、いじめられっ子だった小学校低学年の頃

私は生まれも育ちも千葉県柏市。ほとんど柏や流山しか知らずに育ちました(笑)

柏駅の東口から歩いて行ける産婦人科、券石堂病院さんで産声を上げました。

赤ちゃんの頃、寝つきが悪く、夜中にずっと母親におんぶされて畑を歩いてもらった記憶があります。その時は母にかなりの苦労をかけました。

母親の背中から見上げた天の川の壮大さ。
首が疲れていることに氣づかず、ずっと夜空を見上げていました。

今でも目を閉じると、畑の空に広がる天の川が昨日のことのように思い出されます。
柏も昔は本当に田舎でした(笑)

そして今、親になってみると、長女が寝つきが悪くて「寝かしつける」のがどれだけ大変か実感しました。改めて親のありがたさを痛感し、心から感謝しています。

本当にありがとう。

その分、次女はとても寝つきが良くて、だいぶ楽でした(笑)

小学校の頃は、風邪もひきやすく、カラダが弱かった。

体が弱いのに背だけは高く、それが理由で目立ち、いじめられることもありました。

しかし、小学校4年生の担任の先生との出会いをきっかけに、性格が明るくなりました。振り返ってみると、当時のいじめは、現代のような陰湿なものではなかったのが幸いです。

 

中学に入って・・・

「中学1年から高校3年までの6年間、学級委員長を務めました。

『6年間も学級委員長をやるなんて、頭がよかったんだね』と言われることもありますが、決してそんなことはありません(苦笑)。

いじめられっ子だった経験から、“いじめられている人や困っている人を放っておけない性格”が、この頃に形成されたのかもしれません。

そして、そんな私の『ほっとけない性格』に、人生の転機が訪れたのは1996年の秋でした。

 

保険に関する大切な情報を伝え続けることで保険業界を変えたい。

商社を辞めて、保険業界に

1996年――社会人になって2年ほど経った頃のこと。

「保険業界に旋風を巻き起こさないか?」と誘われ、外資系の保険会社に転職しました。

「困った人を助けたい」という想いと、フルコミッション(完全歩合給制度)という厳しい現実。

「人脈を活かして営業してこい」と言われても、当時の人脈といえば学生時代の友人くらい。社会人経験の浅さは、大きなハンデでした。

人脈などほとんどない新米保険営業マン。

頼れるのは、家族・親戚・友人だけ――。

今、振り返ってみると、高校の同級生が通っていた総合格闘技の道場に飾られていた言葉が思い出されます。

「慌てず・焦らず・諦めず」

改めて、いい言葉だなと思います。

当時の自分は、慌てて、焦って、そして諦めかけていたのかもしれません。

後に友達の道場を訪れたら、「アワテズ、アセラズ、アキズ」でした(笑)

諦めずじゃなくて、アキズだったのね。
でも、その当時の長谷川にはアキラメズが一番必要だったかも。

理想と現実のギャップ

保険は「大切な人を守りたい」という想いから生まれたもの。だからこそ、一番大切な人からご案内すべきだ――。新人研修では、そう教わりました。

しかし、同期や先輩の中には、

「身内や知り合いには勧めにくいし、断られるのは嫌だ」

「本当に成績がピンチになったら、最後の手段として身内や友人のところに行く」

という考えの人もいました。

それを聞いて、私は「それは邪道だ」と反発。

「自分は、親や本当に大切にしている友達から行く」と奮起していました。

ところが、実際に営業を始めると、「大切な人からお勧めするのが使命」なんていうのは、欧米的な考え方で、日本では通用しにくいことに気づきました。

日本の保険業界では、義理・人情・プレゼントが、よくも悪くも当たり前。

業界経験の長い方ならご存じかもしれませんが、「GNP」なんて言葉もありましたよね。

G(義理)N(人情)P(プレゼント)

「国民総生産じゃないですよ」と笑いながら話していた頃が懐かしい。

(ちなみに、「GとNって英語じゃないじゃん」とツッコむ人もいました。)

転職して5~6年経って、ようやく「職業は?」と聞かれて胸を張って「保険屋です」と言えるようになりました。

今は、FPのできる正直不動産屋です♬

しかし、1996年当時の日本では、保険を扱うプロフェッショナルに対する社会的認識が極めて低く、なかなか「保険屋」と言いづらかったものです。

「ファイナンシャルプランナーです」とか、「ライフコンサルタントです」と、ぼそぼそ遠回しな表現をしていたのを思い出します。

営業不振が続くと、かつて同期が言っていた言葉が頭をよぎりました。

「成績がピンチになってから、身内や友人のところに行く。」

当時は「そんなの邪道だ」と思っていたはずなのに、苦しくなると、ついその考えに頼りそうになる自分がいて……情けなかった。

毎月が崖っぷちでした。

使命は、空回り。

仲の良かった友達から、

「保険の営業で電話してきたのなら、友達やめるぞ」

「二度と電話してくるな」

と言われ続ける日々に、正直うんざりしていました。

今では、そんな理不尽な言葉を浴びせられることもなくなりましたが、当時は敏感になりすぎて、完全に自分を見失っていました。

「保険業界に旋風を巻き起こす」どころか、自分が旋風に巻き込まれ、ぐるんぐるんに目が回っていた――。

使命感を掲げていたつもりでしたが、実際のところ、本当の使命とは何かを見失っていたのかもしれません。

あの頃の君は若かった~♬

お客様の喜びの声に支えられました。

今では、あの頃の経験も大切な思い出であり、必要な学びだったと感じています。

お客様の喜びの声を集めるようになると、改めて使命感とは何かを見つめ直すことができました。そして、使命感が分かりかけてくると、理不尽なことを言う人は、全体から見ればほんの一部に過ぎないと気づきました。

「友達をなくすぞ」と最初に言っていた友人の言葉も、振り返れば自分の心が試されていたのかもしれません。

そんな中、お客様の喜びの声に、大学時代の友人が残してくれた嬉しいメッセージとは――?

改めてメッセージを読み返してみると、「来る者拒まず、去る者追わず」という大学の友人の言葉が目に飛び込んできました。

その言葉のおかげで、さらに保険屋という仕事に誇りを持てるようになりました。友人のメッセージに救われたあの日が、つい昨日のことのように感じます。

「この言葉をもっと早く知っていたら……」

そう思わずにはいられません。

あの頃の自分は、来る者(チャンス)を拒み、去る者を追っていたように思えます。

「保険屋だから、厳しいことを言われるのは仕方がない」と言い訳しながら、実は、保険業界をどうこう言う前に、自分自身を磨く努力を怠っていたのだと、今なら分かります。

もし、当時の自分に会えるなら、こう伝えたい。

「苦難は福門だよ」

苦難を成長の糧にできる人と、苦難で二進も三進も行かなくなる人――

その違いが、ようやく最近わかってきました。

ただ「苦労すればいい」というものではないし、苦難を押し付けるのは何か違う。

その違いとは?!

……整体の後で。(笑)

人生の目的を考える機会を与えてくれた1冊の本

保険の営業マンとして自信をなくし、少しずつ人間不信になりはじめた頃――。

そんな時、営業所長が一冊の本を勧めてくれました。

それが、『7つの習慣』 です。

この本との出会いがなければ、今の自分は存在しなかったと断言できます。

この本を通じて、仕事への取り組み方だけでなく、人生の目的 についても真剣に考えるようになりました。

それまでの自分は、営業テクニックばかりを追い求めていた ように思います。

「どうやったら契約を取れるか?」

「お客様にどう話せば響くか?」

そんなことばかりを考え、テクニック本を読みあさっていました。

でも今、振り返ると――。

営業テクニックだけで保険を売ろうとしていた自分が、恥ずかしい。

テクニックは、人格が備わってこそ活かせるもの。

それを知らずに、原理原則から外れ、遠回りしていました(笑)。

そんな自分にとって、「Win-Win」 という言葉との出会いは、本当にラッキーでした。

仕事はもちろん、プライベートでも、「Win-Win」の考え方を常に意識しています。

『7つの習慣』は、今でもバイブル。

この本は、人生の転機や心のスキマを埋めるように、何度も何度も読み返しています。

そして、大切なことに気づき始めた頃から、
お客様や友人にこんな言葉をかけられるようになりました。

「最近、ずいぶんいい顔つきになってきたね。」

当時、この言葉がどれほど嬉しかったか。

「もしかして、自分、成長できているかも?」

そう思えたのは、この頃が初めてでした――。

絵手紙との出会い ~絵師 魚画伯(さかながはく)の誕生~

image_profile2

先輩の勧めで始めた絵手紙

『7つの習慣』のおかげで人間不信も解消し始めた頃――。

同じ保険会社のS先輩の勧めで、絵手紙を始めました。

「長谷川ちゃん、筆マメだから、絵手紙やってみたら?」

この何気ない一言が、人生を変えるきっかけになりました。

S先輩、本当にありがとうございます。

絵手紙 は、『心の贈り物』

ご契約のお礼状や商談のお礼状を、すべて絵手紙に変更。

すると、すっかりハマり
名刺交換をした方全員に絵手紙を送りまくるようになりました。

名刺交換をしたから絵手紙を出したいのか、

絵手紙を出したいから名刺交換をしたいのか――

もはや、どっちが目的か分からなくなるほど(笑)

絵手紙を出し始めた頃、よく言われた言葉があります。

「20代で絵手紙なんて珍しいね!」

この一言が、とても嬉しかった。

……ただ、途中から「若いのに……」という言葉は、ぱったり言われなくなりましたが(笑)

今では、人生後半戦。

ようやく、絵手紙が年相応になってきたのかもしれません。

そんな絵手紙に夢中になった頃――。

おかげさまで、保険業界誌の表紙にも掲載されました。

 

絵手紙を出し始めて1年くらい経った頃に変化が・・・

絵手紙を出し始めてから、約一年が経った頃――

ウソのようなホントの話ですが、自分の絵手紙が、お客様の応接室やご自宅に飾られ始めたのです。

運氣アップ?

長谷川ちゃんの絵手紙をトイレに飾ると運が良くなるんだ

なんて言ってくれる方が増えてきました。

そんな嬉しい声に支えられて、絵手紙にますますのめり込んでいったのです(笑)。

当時の絵を、10年以上経った今でも飾っていただいていることが、本当に嬉しい。

ご自宅や会社に訪問した際に、
自分の魚の絵や言葉を目にすると、
感謝の気持ちでいっぱいになります。

時には、言葉の逆輸入が起こることもあります。

過去の、背伸びしていた自分に、今でも勇気づけられたりして(笑)。

飾ってくださる優しいお客様に囲まれていなかったら、

魚の絵を描き続けることはなかったかもしれません。

本当に、ありがとうございます。

魚の絵を通して広がったご縁

いつの間にか、魚の絵ばかり描くようになっていた自分がいました。

その結果、新しい出会いが生まれました。

野田の青年会議所の先輩のおススメで、川間のお寿司屋さん(たか寿司さん)から、「魚の絵を入れたメニューを描いてほしい」と頼まれたのです。

その頃から、魚の絵が独り歩きし始めていました。

お陰様で、

長谷川隆之という名前は忘れても、「魚の絵の人」として
覚えていてくださる方も少なくありません。

占いとの出会い ~占い師 長谷川隆之の誕生~

肩こり・頭痛に悩むようになる

日々営業で飛び回るようになり、お陰さまで、仕事が本当に楽しくなってきた頃――

新たな悩みが出てきました。

その悩みとは、頭痛と激しい肩こり

重い鞄を持ち歩いてきたからか、頭痛と肩こりに悩まされるようになったのです。

肩が凝り始めた最初の頃は、リラクゼーションのお店でほぐしてもらえば、楽になりましたが――

だんだんと症状がひどくなると、もみほぐしだけでは痛みが取れなくなったのです。

先輩やお客様のご紹介で、鍼(はり)や骨格調整を中心とした整体など、

いろんなお店を転々としました。

今思えば、人と直接ふれあう仕事をしてみたい!という気持ちが芽生えた頃でした。

ついにカラダの限界。

カラダが歪むとココロも歪むって、本当ですね。

忙しいだけでなく、カラダが悲鳴をあげると、夫婦の会話も少なくなってきました。

肩こりがつらすぎて、会話をする気にもなれない……そんな時期がありました。

 

占いをする整体との出逢い。

子育てとヤクルト販売で飛び回り、疲労がピークに達した妻と、

仕事と青年会議所の活動を言い訳に、あまり家にいない自分。

夫婦の会話が少なくなり、夫婦関係も微妙になり始めた頃、

妻がヤクルトのお客様として知り合った、アロマオイルを使った整体の先生に出会いました。

このアロマの先生は、内臓調整療法の師範ではありません

師範の南先生の登場は、もう少し先の話です。

それまで、いろんなジャンルの整体や鍼の先生のところに行っていましたが、全身オイルで流してくれるところは初めてでした。

当時は、ある程度強く押される方が気持ちいいと感じていたので、「そんなオイルで流されるより、ぐいぐいやってもらった方がいいんじゃないか?」なんて半信半疑でした。

でも、とても上手な方でした。

整体の腕も素晴らしかったですが、
アロマオイルマッサージの後、
オラクルカードを引いて、
カラダだけではなくココロも整えてくれた
のです。

オラクルカードのオラクルとは「神託」という意味です。

数十枚が1セットになり、どれも目を引く絵柄が描かれている点ではタロットカードにも似ていますが、タロットと異なるオラクルカードが独特なのは、カードに書かれているメッセージにあります。

タロットでは絵柄、図式から占う人がそのカードの意味を読み取りますが、オラクルカードには直接メッセージが神託として描かれているので、カードにあまりなじみがない人でも使いやすいという点が、オラクルカードが多くの人に受け入れられている理由です。

ココロも、カラダもつらかった夫婦にとって大切な時間

夫婦で、カードを引いてもらいながら、その人を通して、夫婦の会話がだんだん増えるようになりました。

それまでは、「占いって、なんだか怪しい・・・」「占いは弱った人が行くところ」くらいしか思っていませんでした。

世の占い師さん、占いに行かれる皆様、本当にごめんなさい。

 

占いにとって大切なこと、

今、振り返ってみると、怪しいのは占いそのものではなく、
占う人自身の人格がどうかによるものだと思っています。

だからこそ、人格者でなければ、占い師になってはいけないとも思います。

「仕事、仕事・・・」と明け暮れる自分に、オラクルカードを通して、

「本当に大切なものは何か?」が見えてきたような気がしました。

占いに出会わなければ、
家庭の幸せのために仕事があるのに、仕事のために家庭がある
と錯覚していました。



優先順位を完全に、はき違えていたのです。

保険の成績さえ良ければ、すべてうまくいく・・・
なんて驕りも高ぶりもいいところでした。

「何のための仕事か?」「何のために働くのか?」

カラダが悲鳴を上げることで、
今の自分が、当時の自分に価値観の揺さぶりをかけていたのかもしれません。

当時の若かった俺、聞こえているかな?
改めて、時間は未来→現在→過去へと流れていると再認識。

そんな経験から、
次第に「自分もココロもカラダも整えられる仕事をしたい」と
夫婦で考えるようになりました。

その頃は、今のようなスタイルになるとは思いませんでしたが、
紆余曲折しているようで、実は自然の流れだったのかもしれません。

この頃は、肩こりもだいぶ楽になってきたのに、
夫婦で占いをしてもらいたくて、
妻の昌子ちゃんに
「そろそろ、アロマの〇〇さんのところに見てもらいに行かない?」
が日課になっていました。

当時は、月に2~3回くらい行っていたかもしれません・・・

その頃の自分は、損保の研修生として、
火災保険の申込書を立て続けに作るマシーンのようになっていたので、
ココロもカラダも特に疲れていたんでしょうね。

マシーンのように申込書を作る環境も、本当にありがたかったです。
本当にたくさんの方に支えられていました。本当にありがとうございます。

だいぶ癒され、ココロもカラダもかなり背中を押されました。

オリジナルカード「和価値愛(わかちあい)カード」の誕生

本来の自分自身のあり方が見え始めた頃、
アロマの先生から、まるで「自分のココロが見えているんじゃないか?」と思うような言葉をもらいました。

そして、そのタイミングで、再び人生の歯車が回りはじめたのです。

その先生から言われた言葉とは・・・?

「魚の絵と素敵な言葉を描いている長谷川さんなら、
きっと感性も鋭いから、自分で占いのカードを作れるんじゃない?」

魚の絵は描けても、それは無理(笑)

即答で「そんな占いのカードを何枚も作る才能などないですよ」とお断りしたのですが・・・

そんな日の夜、奇跡が起こったのです。

深夜に、カードに描きたくなるようなメッセージが湧いてくる夢を見たのです。

なぜそんな夢を見たのか?
今でも、よく分かりません。

 

カードを通して、伝えたいこととは?

夢に出てきたメッセージは、

「※天と地を融合する使命を全うせよ」

その瞬間、私は「なんじゃそれ?!」と全く意味がわかりませんでした。

意味も分からず、「カードを作るには2~3ヵ月はかかるだろう」と思っていたのですが、なぜか3日で文章が出来上がったのです。

書き上げるまでの3日間

何かにつき動かされているような、不思議な感覚の3日間でした。

作業としては大変だったのですが、描きながらとても充実していたこと
今でも昨日のことのように覚えています。



魚のカードが完成したとき、
新たな気持ちよりも、むしろ懐かしさを感じた
ことが今でも鮮明に記憶に残っています。

誰がこの文章を考えたのか、今でもわかりません。

最初に「えっ?!こんなこと自分で考えたの?」と自分でも驚きましたが、
これは自分以外の何者かが乗り移ったとしか思えない

単に潜在意識のいたずらとも思えないのです。

ちなみに、「もう一度同じものを描いて」と言われたら、
絶対に描けない自信があります(笑)

天と地を融合するお手伝いをすることで、引き寄せ難民やスピリチュアル難民も救いたい。

3日で出来上がった文章は、22枚の潮の流れカードと49枚の愛の羅針盤のカードに込めました。

 

お客様の悩みを解決したくて・・・

仕事柄、さまざまなお客様の悩みに出逢うことが多いです。

その頃は、お客様との関係が深まってくると、保険の相談だけでなく、いろいろな相談をされるようになってきます。

今では、不動産屋として物件のご紹介だけでなく、新しい環境でどのような人生を送りたいか、人生前向きな方と和価値愛(わかちあい)をしております。

私は謙虚に、問題解決に努めているつもりですが、日々アドバイスを求められることが増え、「先生、先生」ともてはやされると、つい「アドバイスしてやろう」という邪な自分が顔を出してしまうこともあります。

そんな時に、和価値愛カードが本当に役に立ちます。

なぜかと言うと、カードをシャッフルしていると、

「格好よくアドバイスしよう」といった邪な心が自然に消えて、純粋な意識へと変わります。

「こんなことを伝えたら失礼にあたらないかな」という余計な不安も消え、純粋に相手に伝えるべきことだけが浮かんでくるのです。

カードを引く時に氣をつけていること

 

カードをシャッフルする時は、相手の質問とその氏名(使命)を心の中で問いかけ、邪念が祓われるイメージを持ち続けます。

すると、不思議なことに、
まるで「今、このタイミング!!」という瞬間が訪れ、
その人に最も必要なカードが自然に出てきます。

その時には、自分でも想像していなかったような情報が
降りてくるのが分かります。

無心でカードをシャッフルしていると、
思考を超えて、相手の氏名(使命)が自分に語りかけてくれるのです。

この感覚を一度味わってしまうと、
今までいかに自分が邪念に振り回されていたかが、
改めて理解できます。

占いを始めた頃、
相談内容は
「どうなったら自分がうまくいくのか?」
「今後、自分の運は良くなるのか?」
といった、すべてが自分自身の未来に関することでした。

けれども、魚のカードを引き始めたことで、
訪れる方のご質問の質が変わってきました。

今では
「どうやったら、まわりの人を喜ばせられるか?」とか、
「自分の使命や志を全うするには、何から始めればいいのか?」
といったより抽象度の高い問いかけに変わったのです。

純粋な意識に触れることで、出逢う人々や質問内容も、
どんどんレベルアップしてきました。

自分だけが幸せなればいい煩悩から、
世界の幸せという大きな煩悩へ

クライアントのレベルアップに伴い自分もレベルアップしなくては!!

それに伴い、「まだまだこれからだ」と自分を鼓舞し続け、
毎日が成長に満ちた日々だと出逢いに感謝しております。

最初は「自作の占いカード」と言っていましたが、
次第に多くの経営者の方々から、
「これは占いというより哲学だ」
「占いの枠を超えて、事業のアイデアや戦略が浮かぶから会議でも使いたい」
といった声をいただくようになりました。

今では「魚の戦略カード」として、多くの方々に喜ばれています。

魚の戦略カードを通じて、
「他人の役に立ちたい」
「相手の喜びと自分の喜びが一致している」
という人々が、まわりに増えてきているのを見ると、
本当にこのカードを作って良かったと心から思います。

目の前の人を癒し、勇気づけることが自分の使命
であると漠然としていた思いが、今では確信に変わりつつあります。

青年会議所を卒業し、次の目標を探していた自分にとって、
これはまさにぴったりなタイミングだったのです。

整体(内臓調整療法)との出会い ~内臓調整療法師 長谷川隆之の誕生~

和価値愛カードだけでなく、占いを教えてくれた先生から、
「オイル整体を習おうかな?」と考えていた矢先、
突然訪れたぎっくり腰が、また新たな扉を開くことになりました。

子どもたち3人を連れてヤングボウルさんに行ったとき、
「父親としてかっこいいところを見せよう」と
渾身の第一投をしたその瞬間、いきなり腰に激痛が走ったのです。

人生初のぎっくり腰でした。

ぎっくり腰は「魔女の一突き」と言われていますが、まさにその通りだと痛感しました。

ぎっくり腰を経験したことがある方なら共感していただけると思いますが、あの痛みは本当に衝撃的ですよね。

本当に立てないんです…

その時、子どもたち3人が心配して「パパ、大丈夫?」と集まってくれたのが嬉しかった反面、正直その時は「お願いだから、今は触らないで」としか言えませんでした。

地元の青年会議所を卒業して久しぶりの家族サービスだと張り切っていたのに、まさか第一投でぎっくり腰になるとは…。痛いし、情けないし…。思わず「トホホ…」と心の中でつぶやいてしまいました。

その日は、なんとか1ゲームだけは投げ終わらせ、痛みに耐えながら整体に駆け込みました。

まるで駆け込み寺のような気持ちで行った整体の先生に、言われた言葉が印象的でした…。

ぎっくり腰が教えてくれた・・・腰痛と内臓との関係とは?

意外だった!!

整体の業界に踏み切ったきっかけとなった先生の一言とは?!

「どうして腰を痛めたと思いますか?」

この質問で運命が大きく変わりました。

『内臓体壁反射』という言葉を初めて耳にした瞬間でした。

どうして?って…そんな…腰を痛めた理由は、ただの運動不足?それとも投げ方が悪かったのかな?と、先生の前で自分なりに言い訳を考えていたのです。

ぎっくり腰の原因って、皆さんもきっとそう思っていませんか?

確かに、準備運動が大切だったり、ボーリングの投げ方が正しいかどうかも重要ですが…。

 

投げるフォームの悪さなどは、トリガーに過ぎない!

「原因は、普段から姿勢が乱れていたこと(腰の巻き込み)。その慢性的な腰の歪みに気づかず、ボーリングがたまたま引き金となっただけだ」と言われました。

要するに、いつ痛めてもおかしくないカラダだったということが、最も大きな原因だったんです。

目からウロコでした。

アロマの先生との出逢いをきっかけに、漠然と整体師になりたいという意識がなければ、ぎっくり腰の原因を説明する先生の話を「へぇ~そういうもんなんですね」と聞き流していたかもしれません。

「説明はいいから、早くこの痛みを何とかしてくれ」と思わず、自分の腰の痛みをすっかり忘れて、先生の話に夢中になっていた自分がいました。

説明を聞き終わると思い出したかのうように、また痛みがぶり返しました・・・

内臓調整療法を極めたい理由とは?!

自分が内臓調整療法を極めれば、「保険のお客様が入院しなくても済むようになる」「医療保険のお客様が、なぜか?一度も入院しないという伝説が作れる」と興奮してしまいました。

整体の学校では、単に筋肉のほぐし方や「このように施術したらお客様が気持ちよくなる」という内容だけではなく、内科の先生も参加するような解剖学や専門的な内容も学べたんです。

そんな話を聞いていたら、いてもたってもいられず、整体のできる保険屋を目指そうと、南先生の内臓調整療法師会の門を叩きました。だって、お客様のキャッシュフローを改善するためには、絶対に健康であることが重要だと思ったからです。

そして、肩こりや腰痛に悩む妻も助けたいし!!

妻、昌子ちゃんは、「あたしの肩こりや腰痛を治すためが、整体師を目指す一番の理由じゃなかったの?」と、今でも時々突っ込まれます(笑)

「もちろん、昌子ちゃんが一番だよ」

「よ~し、みんなのカラダも治して喜ばれるし、保険屋としての付加価値にもなるし、やるぞ~」と盛り上がっていた時間は、そんなに長く続きませんでした。

現実は甘くはなかった。妻の悲痛な叫び。

整体の学校に通い、解剖学に夢中になればなるほど、歩合給の収入は真っ逆さまに減少。収入の大幅なダウンにより、整体の学校の後期授業料さえも払えないかもしれないピンチがやってきました。

今振り返れば、妻の一言は当然のことでした。

「もう整体の学校のことは忘れて、本業に集中して」

「後期の授業料どころか、今後の生活費はどうするの?」と妻に言われ、「これは絶対に必要な投資なんだ」「絶対にみんなの役に立つんだ」と言い返しても、頭の中は不安でいっぱいで、前に進むことができませんでした。

「言わされなくても、そんなこと分かっている」と言っても、何の説得力もない経済状況でした。妻が「3人の子供もいる親なんだから、もういい加減、夢見るのはやめて」と自分に伝えなければならないことは、どれほど辛かったことか。

言われる自分も辛かったけど、言わなければならなかった妻は、もっと辛かったに違いありません。

辛い思いをさせてごめんね。

本当は自分に自信がなかっただけなんだよね。あの頃は、「ドリームキラー」や、自分のココロを試す存在や現象があるなんて考えもしなかった。

必然の映画との出逢い

夫婦の関係がギクシャクしていた頃、実家の母の誘いで家族で映画を観に行くことになりました。家にいても喧嘩ばかりになってしまうので、気分転換に映画もいいかもしれないと思い、出かけることに。

母が観たかった映画は『奇跡のリンゴ』でした。

映画の中で、主人公の木村さんが自殺しようと一人で山に入るシーンがあり、「おいおい、この心境でこの映画はきついな」と思いながらも、必死に俯瞰しながら観ようと試みました。

しかし、最後には、当時の歯がゆい自分の状況と照らし合わせてしまい、嗚咽が出そうなくらい涙が止まらなかったのです。

その後、冷静に読もうと思って原作本も購入しましたが、数年間、辛すぎて冷静に読むことができませんでした。

「映画の木村さんには奇跡が起きたけど、果たして自分には奇跡は起こらないのかな?」と自分を責める日々が続きました。映画と現実は違うと、どこかで言い訳をしようとする弱い自分がいたのかもしれません。

今なら、冷静にじっくり読めるかもしれませんね。

整体の学校を諦めかけた時、救ってくれた存在とは?

そんな時、流山青年会議所のT・H先輩のアドバイスが、私を救ってくれました。

「長谷川ちゃん、後期の授業料、自分が立替えてあげてもいいんだけど、長谷川ちゃんには魚の絵があるんだから、絵を売れば、授業料くらいにはなるんじゃない?」

「え?自分の魚の絵が売れる?」

その瞬間、目の前の霧が晴れたように感じました。

T・H先輩が、お仲間の流山青年会議所のS・G先輩に強く絵を勧めてくれたり、私の志を理解してくださるお客様のご紹介もあり、なんと一か月で後期の授業料を振り込むことができました。

奇跡のリンゴから奇跡のサカナ?!(笑)

「みんな画伯の夢のためだ。みんなで画伯の絵を買ってあげようぜ」と、運河のお店で流山の先輩たちが盛り上がってくださったことが本当に嬉しくてたまりませんでした。

流山のパワースポット、最高です。

奇跡は映画だけじゃなかったんだ、と実感しました。運河、いい場所だな!

あまりの嬉しさにお店から運河の駅まで歩きながら泣いたことが、今でも昨日のことのように鮮明に思い出されます。

(いや~い、泣き虫~)

そんなご縁に支えられて、整体の学校に通えることができ、これは絶対に途中で諦められないと、強く決心しました。

こうして、ますます整体の魅力にのめり込んでいくのでした。

学校を卒業後

紆余曲折を経て、何とか整体の学校を卒業し、一度は諦めかけた内臓調整療法師。

おかげさまで、形としては整体師になれました。

卒業したと言っても、まだスタートラインに立っただけで、
経験も知識も技術も未熟なままです。

卒業後も、地元の仲間たちが私の志に賛同してくれ、
整体で使うボディクッションの購入費を出し合ってくれたり、
本当に多くの方々に支えられ、今の自分があります。

そして、内臓調整療法師となってから3年後の話です。

たくさんの方に支えられ、無事に内臓調整療法師になれました。
そして、師範研修会にも参加できる権利をいただきました。

卒業後、お礼も兼ねて、私を整体の道に勧めてくださった
先生のところにご挨拶に行きました。

その時まで、
ずっと「なぜ自分を整体業界に勧めてくださったのか?」が気になっていました。

アロマの先生の時のように、「何か運命的なものを感じ取って、自分を勧めてくれたのだろう」と思い、ついに聞いてみました。

すると、先生は笑いながら言いました・・・

「ああ、それはね、長谷川さん、
手が大きいから整体に向いていると思ったからだよ」
と。

なんともシンプルな理由でした。

その瞬間、少し拍子抜けしましたが、経験を積んでいくうちに、
手の大きさが本当に大切だと実感するようになりました。

最近では、お客様から「長谷川さんの手、すごく安心する」とよく言われるようになり、この仕事に向いているのかな?と先生にも感謝の気持ちでいっぱいです。

そして、大きな手に産んでくれた両親にも、心から感謝しています。

今までの出逢いを振り返りながら…

こうして、多くの先輩や師匠、先生との出逢いがあり、今の魚画伯こと長谷川隆之ができあがったのです。本当にたくさんの方々に支えられ、人生の節目に改めて自分のプロフィールを振り返るたび、感謝の気持ちが溢れ、また少し泣きそうになっています。

家族の反応

ずっと寄り添って、支えてくれた妻、昌子ちゃん、本当にありがとう。まだまだ発展途上中だけど、これからも宜しくね。

内臓調整療法師としてのこだわり

整体の師匠の言葉。

『治すのではなく、治ってもらうカラダを作るお手伝いをする』

師匠はいつも、この気持ちで内臓調整に挑んでいると教えてくれました。

治すのは、お医者さんや薬ではありません。

ましてや整体師でもないのです。

自分のカラダを治すのは、自分自身の免疫力だと。

施術者として、自分が「治そう」とすると、逆にそれが魔(ま)がさす原因になると教えてくれました。

これは、整体に限らず、すべての分野に当てはまるように感じます。

映画『赤ひげ』から教わったこと

そんな時にいつも浮かぶのは、黒澤監督の映画『赤ひげ』のセリフです。

「病気の影には、いつも人間の恐ろしい不幸が隠れている」

医術といっても、すべての病気を治すことはできません。

その不足を補うのは、貧困と無知に対する闘いであると赤ひげは諭し、
「病気の影には、いつも人間の恐ろしい不幸が隠れている」と語るシーンがあります。

カラダの不調の影に何があるのか?

整体師であっても、医師の免許を持っているわけではありません。だから「治す」という言葉を使えるわけでもありません。

しかし、その場限りの痛みや不調を解消するだけでなく、
出会った方の人生に寄り添いながら、
ココロもカラダも整えられる整体師として、
「今できることは何か?」を常に追求しながら、人間的にも成長していきたいと思っています。

自分が本氣でよくなろうと思わない限り

「自分自身がよくなろう」と本気で思わなければ、どんな素敵な人に出会っても、どんな素敵な本を読んでも、どんな素敵な景色が目の前にあふれていても、変わらない。

扉は、自分の内側からしか開かないことを知りました。

だからこそ!

もう自分のためだけに生きることはできない。

for meではない。

もう他人のためだけに生きようとすれば、長続きしない。

for youでもない。

共に成長したい。

常にwith youでありたい。

 

他人と過去は変えられない。
変えられるのは今と未来と自分自身

恩返しを通して、過去の事実は変えられないけれど、過去の解釈は変えられる
と思っています。

過去をくよくよ悩むよりも、今日をよくよく生きることで、
過去も素晴らしい人生だったと思える。

今の自分を肯定することで、過去の出逢いや経験に感謝できる。

昨日までの自分ができなかったからと言って、今日も明日もできない確証はない。

冷静に分析したようなふりをする脳の身勝手な解釈に
騙されてはいけないと、自分を言い聞かせています。

速くなろうとするな。速いと知れ! by モーフィアス

その氣になればいい。その氣にさえなれば、誰でもできる!!

「できるようになろう」とするんじゃなくて、できると知ればいいのさとモーフィアスに教わった。

「勇氣だ」「愛だ」と騒ぎ立てずに、その氣になればいいのだ。
「夜明けだ」「朝だ」と騒ぎ立てずに、その眼を開ければいいのだ。
今から一緒に! これから一緒に! 整体に行かないか?! by 今日か明日か!励ますか!

最後に・・・

長い自己紹介にお付き合いくださり、ありがとうございます。

整体師として、占い師として、そして、最終的には天職として不動産業にたどりついた私、魚画伯こと長谷川は、あなたの人生の背中を押します。

遠回りしてきたからこそ見えてきた経験が、少しでもお役に立てたら嬉しいです。

環境を変えて、人生をリスタートしたいと考えているあなたに、最適な物件をご提案します。自分自身の成長と変化を感じ、より豊かな未来を手に入れるお手伝いをさせていただきます。

「何でもできる!」とその気になって、
みんなそれぞれの道でナンバー1になりましょう!

自分が人生の主人公であることを思い出して欲しい。

カラダの声をしっかりと聞きながら、単に痛みを取り除くだけではなく、
ワクワク!ウキウキ!!するような人生を一緒に作り上げていきましょう。

整体、占い、そして最適な住宅環境を通じて、
誰もが毎日楽しみながら成長を楽しめる明るい日本を共に作りたい。

そんな想いで、私はサポートさせていただきます。

新しい環境でリスタートを切りたい方、最適な物件をお探しします。
あなたの夢を現実にするお手伝いを、私にお任せください!